2024年4月6日土曜日

落ちない星

今日は高円寺のライブに出るということでどうしようと思いながら電車に揺られていた。以前までならライブというのはまさに今生きているということでそれをなんとかして感じとり立ち上げるために精いっぱいにその場で、とかそういう生き方だったけど、何かが変わってしまった気がして理由もわからないけど、でも習慣で動いている身体がなんとか運んでいく場所があるし、むしろその方が無心に近い可能性もあるとか、なんて思いながら。

GEZANのこないだの映像を思い出してエンドロールを聴き出した。この曲を寺尾さんが歌っているのを聞いたことがある、その日にソケリッサが踊っていて、そこにいる人たちたくさん泣いた。そこでGEZANを聴こうと思った。

GEZANといえば光くんで、光くんと出会ってそのくらいかな?彼らのMVを撮るとかいうんで張り切っていたのを覚えている。光くんは人に協力を惜しまない人で、結局その話はなしになったけどマヒトさんとよださんと僕のスリーマンを企画しようとしていた。別のメンバーでスリーマンが実現されてそこで音楽を僕なりにライブ、演奏できたことはとても嬉しくて覚えている。

会場に着いて本番前、体を動かそうと公園に立ち寄る。木と土がないかな?って探す最近の習慣が出てきてそれで体を動かし、踊り出す。夜の公演だからみんながパラパラと自分のスペースで何かしていて、僕はダンスをしていて、そのことを強く感じていた。それでその後にライブが始まった。

ライブで他の人の曲を聴いていて泣きそうになってしまった。それは音源で聴いてもそうは思わなかっただろう。その人の風貌と歌の説得力がセットで感じられた。たくさんの時間がそこにかけられているということが強く感じられた。


2024年4月3日水曜日

ほんの少し

 体調を騙し騙しなんとかやり過ごす日々が3週間くらい続いている。 寒い日に限ってストリートの予定を立ててそれで案の定、その日の夜に悪寒に襲われて体調を崩して少し回復して朝早くから仕事をする、そして少し回復してもう完璧まであと少しで変な形でまた風邪をひく、を繰り返していて全然日課を作るどころじゃなくかなしい。 公園にも全然行けてないし身体の準備も出来ていない。そうするとなんか頭の想像もちょっとサボってしまうのか、弱気になるのか、そんな感じ。困った。

いくつかの事柄が数日内に連続して起きた日にはバチにでもあたったかと思ったけど。今日、午前中からのやつはなんだかうーんって気がしていたけど午後良くなって結果オーライになった時に、ほんの少し幸せで。木漏れ日みたいだと思った。大きな太陽でなくても木漏れ日で喜んだり嬉しくなること、があったことをほんの少し思い出す。

2024年3月31日日曜日

2日いい日が続くと太陽が2つあるみたいな気がする

今から寝るのが楽しみで、でも朝は大抵起きた瞬間がちょっと絶望みたいなことを感じる。
まぁ、そういうこともある。
 新しい仕事が始まった。2日続けていいことがあった。木曜日は雨で少し不安だったし、体調も崩している中での外仕事だったんだけど金曜になったら体調も少し良くなってしかも晴れで屋外上映イベントがいい雰囲気で運んだ。僕は思わず仕事だったのに裸足でビーチで仕事させてもらえてそのことがとにかく楽しい。逆立ちなんかもしちゃって。
屋外上映の手伝いをそれなりにやっていたらその方から感謝されたり、上映後子供たちはその見ていた場所からすぐ走り出してビーチの夜を楽しんでいた。全部を休まずに彼らはくっつけてしまう。僕だってもし小さい頃にこうしてビーチで映画見ていたら忘れないんじゃないかな。
ストリートによくくる羽鳥さんも友情を描いた演劇で泣いてしまったのはもう強く親しい友人を持たなくなったことにあると言っていて、数年前、ままごとを見た時にぼろぼろ泣いてしまったのは僕もやはり小さい時は友達こそが全てだったからで、あの頃の自分と今の自分は他人を見るような目で僕を見るんだろうか。それでも一方で小さい頃の自分が一緒に自分の中を生きているのも事実だ。
今日のいいことは君島さんと西田さんのライブを見れたこと。のびやかに音楽に取り組んでいて楽しそうだったし、そののびやかさを十分に受け取る。自分たちで準備している様もよかった。うん、音楽が良かった。
かつて、自分がなんでも良かったのを最近よく思い出す。言い切ることとやることにその都度集中すること。誰かがなんと言おうと、あるいは議論のテーブルに乗らなくても今、ここにいる人たちと関係を結べるかもしれないことや、過去や未来にもつながりうるかもしれない、この瞬間というかぐっと長い時間の中に互いにいることこそが重要だ。
ここにいる時はどこにも行ったりしないのだから。約束よりも前。

誰に何を言えばいいのかわからないけど、明日の午前中は公園に行こうと思っているのが楽しみ。

2024年3月7日木曜日

砂漠

 ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。

そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。

ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。

それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。

2024年2月26日月曜日

オマケ

 フリーオプンデーが終わった。12月のオマケくらいな、仲間達との許された時間だとか思っていたけどしかもみんなで稽古は一日と数日の秋田勢でのリハーサルだったけど、とても特別なものになった。実感的で他で見た事のない、再現も難しいかもしれない。それはメンバーや、やはりここに集った人たちの身体によって可能になった。これまでの習慣とか考えとかそういうのの総動員の出した今日の答えみたいな感じ。

劇場なのにあまり劇場と感じない作品。

僕は舞台の上で回すのに精一杯だったけど色んな人が色んなところで起きている、観客も演者も含めて。そんな景色を見たと書いた感想があった。自分がなぜ街とかに惹かれるのか、を思い出した。そこには色んな人がいる、誰かが出てくる、その行為や景色にいつも感動したり優しくなったり強くさせられたりする。思い出す。


一方でバイトの連絡が来る。やはりフリーランスで安定して入ってなかったから仕事がないからといれてもらえない。昨年、色んな場所で頑張ったけども、それをしたって東京での評価や仕事には繋がらないんだ。それは別に地方だって同じことだね。だから文句は言えないけど、難しい。

忙しくとも地道な活動を続けないと信用してもらえない。まぁo.kという感じで、頑張ろう。今年、大吉をひいたということだけが自分をジョークのように今年連れ沿ってくれそうなんだ。なんて頼もしいんだろう。

2024年2月23日金曜日

もしかしたら

昨日は朝早くてそれで今日は寝れるかと思ったら眠れない。色々悩んで頭で考えて、こんなことを思った。幸せになりたい、という言葉だった。以前、幸せにどうか届けと思って声をあげようとしていたんだった。最近はこの声の届け先を、奥行きを、何をもって発すべきか、遠近感をつかめなくなっていたような気がする。 言葉ではわかったけど実際にその感覚に戻るのか、あるいは別のところへ行くのかはわからない。色んなことに落ち込んでいたけども、幸せになりたい、という気持ちを素直に言えたらなんか自分を再び押せる気がする。 その気持ちもなく、ただなんとなく手癖とかでギリギリやってた感じがする。調子が戻るかもしれない。

2024年2月21日水曜日

起き、

 夕方に家を出てドタバタしてテンパりつつ、歩きながら整えようとしているとおばさんに呼び止められ、彼女の載ってる自転車のサドルを下げるのを手伝った。あんまりない頼まれごと。

夜は渋谷で踊った。友達と話したり笑ったり動いたりする、それらが渇いて気持ち良くて。

それで実家に帰った。遅かったから少し一緒に両親と動くやつをやって、それで引越しの話を具体的に聞きたりした。この小6の時に引っ越してきた家ともさよならだ。自分は実家を出るのが非常に遅かったので、思い入れも出来てしまった。そういう意味でももっと早く出ていれば悲しみは少なかったのか。色んなことに対して最近は思う人生のターンに来ているのか。色んなことが遅かったために愛着が出来て。

悲しいことがいくつか。もうダメなんじゃないかと思う。無限に広がる世界を見ようとしていたのに世界の壁や限界が近づいて来たり、色んなことが疲弊してしまって頼り合えないような予感。今週頑張らなきゃいけないのに。

渇いた、っていうのをポジティブに捉えるのって湿ってるのの逆ということでなんだろうか?

とりあえず明日よく起きよう。