2016年12月31日土曜日

2016.12/30

2016.12/30だ。今年最後の稽古がありました。昨日はTESの忘年会イベントあった。すごく迷ったけど言って色々話せてよかった。中々うまくいかないこともあって、しょんぼりした気持ちがあったけど今話しておいた方が大きいかもと思い行ってよかった。
そう今年は中々インディペンデントなことをやれて、最後に来年また舞台に出るその稽古で終わっていくのいいな。 来年もインディペンデントといわゆる一般的に共有されてるベースのあるところの往復を出来ればしたい、、って僕1人でというわけでなく色んな人の協力をいつも受けている。
そう最近はオードリーの若林の本を読んでいる。だいすけさんがオススメしていた。これが結構、面白い。そして、ホントは僕も漫才みたいなことやりたいんだよね、大学のサークルの発表ではよく司会をやってはふざけていた。あの調子でいけたらどうなんのかなぁとか。
にしても29にいよいよなるか。あぁなんか焦っちゃうね、もっとやれなかったかなぁとか思うよね、そういうのに悩まされるのも多いに結構、だけどもっともっと広げて宇宙を生きようとしてみよう、その方がやばいぜ。
31日はもう少しリフレッシュしていきたい、

2016年12月26日月曜日

tree

昨日、パーティーが終わった。始まる前はクリスマスをつけるの避けてたけど、いつのまにかクリスマスパーティーにはまっていた。まぁそれもそれでいっかな、でも最初にあったツリーのままである状態もどこか覚えていてくれるような内容で感じられたらよかったかな。
パーティーは公演とか展示とか以上に反省があるものとなりました。というのもパーティーという性質上、人をもてなしたりしつつ、しかもこれはパーティーという名を借りつつなポストパーティーでもあるかもしんないからしょうがないのだけど。
帰ってしまう人がいたり、段取りがうまくいかない部分、楽しめなかったそうなお客さんのアンケートも手にとり、考えたい部分がある。
一方で、すごく楽しんでくれた人がいたみたいで、その様子を見てこっちが嬉しくなってしまった。はぁよかった、やってよかった。
またやりたいな、あの人とやりたいとかそういうのもあるしね。こっそり。
オープンマイクもよかった。改めて今年、親交を深めた何人かの面白くて、勝手なことしてる人たちに会えたの大きいな。 オープンマイクしなかったけど、あきさんとか村社くんとか、作品とかをこえてハッとしたりすることを話せる人とかいて、自分を省みたりする。
上野くんと今回も1つ曲を作って、treeって曲。
僕はツリー、色んな用途があるけど、いつも上に飾ると完成する星がない。みたいな散文を書いて、そこから上野くんが改めてかみくだいて、詩にして曲をつけて歌にしてくれた。always something is lacking in my lifeっていう。まるで今年の自分を現してるじゃないかつって曲が出来た。
今年、一番の映画はsing streetだった。2回目観に行ったsing streetはそれはそれはこんな映画体験今までないってくらい打ちのめされのだけど。
なんかそういうのが、実は詰め込まれてしまったパーティーでした。

ホームアローン2の言葉もちゃっかりフューチャーさせちゃったりして。
随分その言葉に励まされたのだ。まだ効用は続いてる、ハートがあるから使ったほうがいいってやつ。
僕はバカなんじゃないかって思ってしまうよ、でも、しょうがないよ。
もうそれは始まってしまったんだから。

2016年12月15日木曜日

トリビュート

なんだかんだでこの時間になってしまう。大きい依頼された絵の仕事を納品して、来週から始まる展示に出品する絵を完成させ、搬入行ったら次はまた別の絵を納品する必要があり、今度はまた来年の演劇作品に向けての絵を描いてと怒涛のラッシュを12月にかけてやってくるとは思いもよらなさすぎた。今だけかもしんないね、来年はわからないから。でもそれぞれのグラデーションを見ていってる、これは経験になっていくとも思うのでなるべく自分がどんな風に取り組むのかも見つめていきたい。

銀杏boyzのトリビュートアルバムが知らないうちに発売されていた。思ったより周りで噂されたりしてなかったから。買って聴いているんだけど、見事に蘇るね。
高校生のあの時のこと、あの時に思い浮かべていたこととか。漂流教室という歌が好きで、「今まで出会ったすべての人々にもう一度会えたらどんなに素敵なことだろう。」って告別式(あの日の空のことは忘れていないなぁ)のことまで出てくる歌の中で言っていて、確かにこれはきれいごとで、たぶん高校生の自分だったら言えてたセリフだと思う。それくらいのレベルで生きれていた気もする、随分今の自分は多くのことに対しての妥協も持ってると思うから。
銀杏boyzを聴きながら、その時に会った誰かたち、友達や他の人の事を想像しもう一回頭の中で遊んだり話してるのを浮かべている。それでなんか懐かしいなぁとか思ったりしてる。
だけど現実に僕らが会う際はもう違う誰かで出会い直す、そしてあの時のように会えることはもうないんだろうなとも思う。
銀杏boyzの曲を聴いたりして、なんかあぁ、ってなって罪悪感みたいなの思ったりもしながらそれを美化したりもしながら、ただ進んでいる。

僕らは若くて美しかった。
ダメだ、全然そのことをめちゃくちゃに信じている。
だから若い人にはむちゃくちゃにほとばしってほしい。大丈夫、美しいから。
世界は君たちを追いかけるって言いたい。

2016年12月8日木曜日

リハとか、

今日は代々木公園でちひろちゃんと時里くんと少し振付練習して、りょうちゃんと合流しご飯食べつつMTGを行った。12/24のパーティー、ぜひ遊びに来てね。
そうそう、パーティーを今回やる、今年は2回の個展の両方ともでオープニングパーティーをさせてもらった。僕が実際、展示をする理由の1つとしてオープニングパーティーへの憧れがあると思う。映画か何かで見たNYでのアーティストの個展のオープニングに派手やかな人々が集まる。そこでもし踊ってそれが素晴らしければスターになれると思ったからだ。もし僕が踊れるアーティストになれればある意味で村上隆を超えれるって思ったのだった。かわいい発想かもしんない、でもそういうのもほら悪くないよね、とはいくらか歩みを進めていくうちに確信が増していく。
そうそんなところから、パーティーを求める気持ちの一部分は形成されたりもしてるし、社会に接続するためにという形でもあるんだ。
しかし、SNSとかでもアクションを行うものの、コミュニケーションの難しさは全然ある。し、SNSなどで上手くやってるのを見てもそのうまさがクールだと思うやり方を見つけたことはこれまた中々ないのだから、答えらしき答えはずいぶん見つかっていない。

にしても、今こそもっと勝手に基準を勉強し圧倒的に振り切れることはめちゃくちゃ大事だと思う。なぜかどんどん似たようなものになっているからだ、僕が活動するダンスシーンしかりアートシーン然りだ。たくさんやる人は増えているのかもしれないけど、総合的になっていこうと考える人は少ないみたいに思える。総合的にあろうとすればするほど各部分への気にする項目は増え、見えない仕事量は増す分、想像力も増える。
今まで僕のことを精神的にノックアウトして来たのは大体そういう人間的に圧倒的な人々だった。だからそれに関しては大体いつもあぁ勝てん、、と思ったりする。

なんでこんなこと書いたりしたんだろう、なんかちょっと心配になったんだと思う。
あと村上隆のFBでの投稿を見て若い時のとんがり具合に、興奮したんだ。
もっと圧倒的なものを見つめなきゃいけない、チェゲバラのポスターだって貼るのいいかもしんない。だって世界の未来は僕らが一部担っているし、子供たちは僕らの背中を見るし、長老たちは下手すれば老害を招くかもしれないけどそれすらも本当はうまく導くようなコントロールさえ僕らが行うようなことが出来てないといよいよ世の中は回らなくなる、という強迫観念を妄想しでっちあげて狂った東京で生きてる。

2016年12月6日火曜日

時を越えて

こないだすごく驚くことがあった。アキさんの開くシンポジウムで、早稲田大学に行きそのシンポジウムで初めて会った人と見たビデオについて話す機会があって、その時に同じ組みになった人に挨拶をすると、僕のことを知っていると言う。
以前、ブリュッセルに行かれたことはありますか?と。行ったけどほんの数日だったから人違いじゃないかと思って話を聞くとまさにそれは僕だった。
今から7年くらい前、大学三年の春休みに当時の相棒と一ヶ月かけてヨーロッパを回っていた。その時のチームワークはズタボロで、アムステルダムからブリュッセルに向かう途中にはぐれてしまった。それでブリュッセルでそれぞれ別行動をしていて何とかまた合流した、もののそんなにブリュッセルは今まで回った場所に比べて刺激は見つけられなかった。しかし、その離れて着いたその日にその相棒が入ったカフェが素敵でそこにいる子も素敵だったと教えてくれた、でもその子は店のおばさんといちゃついていたから残念ながらレズであろう、ことも含めて。それで次の日、僕も一緒にそのカフェに行った。カフェの雰囲気も良く、その子は今日もいた。確かに彼女は素敵で、こんなどっかのアジアの若いやつら2人にも愛想よく、なんか肘なんかついたりした仕草が確か素敵だった気がする、、そしてその時に確かに僕は彼女に、自分はアーティストなんだぜ、と何か紙を渡した。そうやって旅の最中は自分をプレゼンしていた。

それでそのシンポジウムで会った彼がブリュッセルでその女の子の部屋をたまたまb and bで借りたらしく、その際に日本人のアーティストを知っていると渡されたのが僕が描いたものだったのだ、確か名前も表記していた。
それでその彼は僕の最近の活躍も知っていて、それで繋がったんだ。
僕は本当にびっくりした。 そんなものどこかにやってしまう可能性だってあるのに。
時を越えて繋がった感じがした。その時の自分だって、未来のことは知らなかったわけだから、その無謀な自分に時をえて人を介して出会ったような感じがした。もしかしたらそのようにして、素敵な人の中継を挟み、過去と繋がるということがあるかもしれない。
それはささやかなことかもしれないけど、でもなんかポールオースターの小説みたいで
ぐらついてしまう。
まだ若かった頃に飛び出した外国で、助けてくれた色んな人たち、に今感謝したい気持ちだ。そんな弱そうな人に、へい、元気出せよ、とビールをくれたりしてくれて。
覚えていてくれて。
まだがんばれるぞ。

2016年12月1日木曜日

again and again

うわ、外すごい雨降ってる。6月みたい。
壁とかに跳ね返ったりする音が響いたのがつたわるのがいいのかな。
雨が降ることが物理的な音や感触を与えるから、少しいつもより把握出来る分、なんかはっきりと生命を感じれるのか、わかんないけど。

河村隆一の曲を聞いてしまいまくった1日。って二曲だけたけど。
笑えちゃう、爽やかさというかなんだろうこの突き抜けてる感じ、相手にされない感じ。
普通の景色を見させないな。

イタリア映画借りて見た。最近のやつで、ポップなやつ。奮闘する女性建築家設定のドラマ。会社で起こす小さな改革の話。
確かにすごい設定とか強引とか思っちゃうけど、やっぱしフィクションでも革命や改革を描かれると泣いちゃうよ。
音楽の再生ボタンが好きで、何度でも再生すると曲が始まって、その度にもう一回立ち上がれるなら、もうちょっとうまくやって何回も立ち上がって戦っていけるかもって、そういうことで再生ボタン好きなんだ。無限に押してるのかもしんないけど、次こそはって思って再生をしたら変わるかもしんない次の瞬間との無数の出会い。
何回も再生押して戦っていたつもりだったけど、まだそんな映画にしくしく泣かされる自分もいて、悔しくて、もっとやれるかもって。
だから何回でもその瞬間を抱きしめるしかない。
もっとやれる、ってもっとやれよって、