2017年12月31日日曜日

2017 to 2018

2017年を振り返って。

2017年、3月の旅行以降はほんとは作品作りを集中して行おうと考えていたけど、中々それが叶わなかった。思った以上に他の入ってくる仕事の割合が大きかった。ちがう、だんだん日本での環境の中にいる要請に身体と思考がならされていったんだと思う。

2月はChoreographで多田淳之介さんの作品に参加。これは横浜ダンスコレクションのプログラムの一つで、大谷能生さん、伊東歌織さん、戸沢直子さん、群青さんとの共演。という、とても僕にとっては伏線を回収するようなメンバーでした。制作期間の中で話したこととかがとても多様でした。なんというか人生の途中の確認みたいな感じでした。こうしてB-Boyのときの経験とかも更新されていくのだった。

3月はアジアとヨーロッパを旅しました。32日間。安旅。思えばもっとせめれたんじゃないかとかも思うけど、ともかくは外に身を置く中で見えることがやはり多数あった。というか絶対にあるんだよね。毎年行かなきゃいけないし、自分の夢でもある、向こうで活躍すること。まだもちろん捨ててない。向こうで働き生きる友人の姿は、切実で今まで知らない彼の姿だった。自分を反省した。

4月は帰ってきて新しい生活が始まっていく感じがあり、すぐに白くまさんと大池さんの結婚パーティーを一緒に作っていくという個人と個人でやりとりをした仕事でした。こういったことを仕事として成立させてくれた2人には感謝がつきません。

5月は小さいイベントが重なって、米澤一平くんと初めてセッションをした。作品未満くらいの発表という小さな一歩。この後もこの一平くんと可能性を頼りに、よださんや、橋本くん、とか色々試せていった。一方で一平くんは一平くんでたくさんの企画を他の人とすすめていたのよかったな。

6月は長野県松本市にあるawai art centerに誘ってもらってあそびなおすに出演をしてきた。展示であり、ライブである、という試みを今年が結構重ねていく中での最初の出だしとなる感触が確かにありました。

7月は武蔵野プレイスでの個展。リアリーリアリーフリーマーケットとの抱き合わせ企画。
個展でありながら、多くイベントを開催してみるパフォーマティブな展示を目指しました。きっと展示としての物足りなさはあったと思います。が、イベントの多くの開催を武蔵野プレイスとTERA TO TERAスタッフと出来たことに確かな手応えがありました。色んな可能性を感じることのできた夏、となりました。


9月に初めての単独公演『I ALL YOU WORLD PLAY』を横浜STスポットで行いました。
65分くらいの作品となりました。自分の持てる世界観や、これまで獲得しつつある技術を詰め込み、劇場の方とスタッフと作りあげる思い入れもある作品がやっと一つできあがりました。
舞台をこれからも作っていきたいと考える最低ラインは越えることができたかなと考えています。

10月は鉄鋼島FESとTokyoCanalLinks♯1 “翼を持つことと根を持つこと”グループ展に参加しました。キュレーションは青木彬さんです。

11月は横浜STスポット30周年で額田大志くんと20分の作品を作り始めた。音楽家との共同制作だった。ここで試せたことは、たとえば作品のソフトなパッケージングだったり少し衣装で遊んでみることだったり、今後にもきっと使えると思うので来年の活動に直接敵につなげたい。
の後、京都に10日間滞在し、多田淳之介さんの作品『re play Dance Edit』に参加した。この作品では、シンガポールやカンボジアのダンサー、関西と関東のダンサーが集まって制作を行った。それぞれの取り組むシーンの状況の情報を少しでも交換することができた。

12月はクリスマスパーティーを行った。なるべく昨年よりも負担を減らして、のぞめるようにしたいと思ってそれを目指した。結果、昨年とも嗜好性のちがうものを参加者で提示出来る場になッタト思います。またやります。



また今年は代々木公園で行う活動、どうぶつえん、とそれに加えて青空絵画教室を開くことができました。

9月の最終週から東京造形大学のcslabで働き始めた。小山友也くんが回しているスペースで、週一回の授業があり、2日間通って大学での何かしらのアクションを行っていった。企画をしたり、実際に行ったり、人を呼んだり。
週一の知の漂流教室では学生が集まって、いろんなアイディアを出し合いそれぞれにやりたいことを巻き込みながらつき合わせながら、補い合いながら、だけど走れる時は走ってのバランスで毎授業の展開を試みた。
この感想をどのようにまとめればいいんだろう。

あとは、大学の授業だけで大学は出来るわけではないと考えていて、ともかく毎日をある目標に向けて提案をしていくことにした。大学におけるパフォーマティブな側面をもっと面白がってやりたいと考え、いろんな学生や助手や教授に声をかけパフォーマンスイベントを展開した。
大学ももっと面白い方がいいに決まっているし、大学の外ももっと面白い方がいいに決まっている。思う存分力をつけながらも、ずでにある力は使っていくべきだ。

今年は計画性の中にも即興性をもって挑むことが多かった。とにかく何かが起こっている状態を目指そうと思った。世の中に必要だと思う現象はとりあえず起きていないと、(言い換えれば柱さえなければ屋根さえ載らない、家ができないみたいな。)まずいなぁと思って。それで仲間にも協力してもらったり、友達になったらすぐそれに加わってもらったりした。それがしかも可能というシーンにたくさん出くわして、非常にいい感じです。

今年はたくさん仕事をしました。みんなにもたくさん協力もしてもらった。迷惑も込みで。
来年はもっとそれを越えよう。しかも海外でもなんとか活動したい。出来ないかな、自分次第ですね。 1月からスタートダッシュしたいな。
今夜も走るかな、、海まで走りきれる自信が今はない、、どうしよう。最近はランニングより稽古が中心だしなぁ。
仕事のことばかり書いているけど、生きることをもっと多様にできる工夫もしたいなぁ。 なんかずっと生きることは悲しいみたいなことをずっと思ってしまっている。みんな、僕らの世代はまじめだと感じるからで。じゃあまじめじゃなくなったら、大丈夫かというとそれもなんか難しいとこまできてる感じする、、って言っちゃうからダメなのか。

でも割り切れる問題じゃないと思ったから、羅列するだけで終わりにしないようにした。

めんどくさいなぁ。明日はもっとすっきりとでもちゃんと問題を持ったまま、しかしはっきりと走り始めよう。生きることはやめていない。 (写真は香港での)

2017年12月30日土曜日

たくさん水をのもうかな

最近カルアミルクばかり聴いていたから昨日もかけたんだよね。
カルアミルクの楽曲はどことなく20年くらい前の時代の雰囲気とかSF感みたいなのがあって、それはそういうのを喚起させる、イメージのこびりついた音が使われているということもあるんだけど、カルアミルクばかり飲むみたいな人生のショートタームが自分にも欲しかったなぁ。ダンサーを目指してしまったために青春の夜はストリートでの練習に消えていったんだと思う。
視野が終わって、パフォーマンスあんまうまくいかなかった感じがしてその後のパーティーでの居心地の悪さと言ったら、、、でも朝までのパーティーはとにかく楽しくて色んな時間が凝縮していた。僕は覚えていると思う。覚えている状況、ってきっと体で覚えているから。体ってすごいな。
今日は忘年会の誘いもあったけど、何せ昼前までスターウォーズだったから夕方に起きてそれで山崎広太さんのベストダンサーNYの情報に感化されて、、どっちにしろやろうと思ってたけど、外へ出て練習したり絵描いたりしていたんだ。これが自分の調整になる。
もっと水を飲むのが目標で今日はすくなかったなぁ、

2017年12月19日火曜日

今すぐ、

今すぐkiss meっていい曲なの知らなかった。アップルミュージックで広瀬香美がカバーしてるの聞いてたら、すごくいいカーブを描くように歌われるフレーズあって感動しちゃった。今すぐkiss me,wowow go away I miss youのくだりとか。音と言葉のリズムがとてもポップにまとまっていて。すごい。

RENTを最近、久しぶりに観ている。
こないだラジオ出た時も迷ってレントのseasons of loveをかけてもらった。
初めて舞台というものに出会った1つはRENTだ。コンテンポラリーダンスよりも早い。大学に入学してすぐの話。
今日観てたのは舞台版の映像だ。
涙がやってくる。
最近、ダンスの中で音を意識した作りが増えてきていよいよ、音楽とかミュージカルのことを考えていて、だからRENTを見るのかもしんない。
人生は一回しかない。
というのが映画とか見る度に、再生するたびに、人の中へ飛び込んでいく。
昔、映画を見て泣いた時の涙の正体はなんだったのか、悲しくて泣いたのか、その悲しさの対象はなんだったのか。今日見ながら考えていたのは、自分のこの人生をもうちょっと、もっと、なんとかしたいっていうことが自分を打って泣いているんじゃないかと思う。
RENT観て、やっぱり色んなことがその背後に広がっていて、つまり僕も生きてる世界に広がってることがわかって、相変わらずそのことが自分の胸を打つ。
景色を描くのが難しくて、くやしい、

生きることを抱きしめる瞬間に立ち会いまくりたい、頑張ろう、きっと恥ずかしいけど

頑張ろうって何度も自分の中で言えれば体制を持ち直すかも、

2017年12月7日木曜日

海に投げること

12月になっていて、また時間を追われるようにして社会と並行して進んでいるように思える。その社会ってのも一側面の一部の社会だから、ちょっと布団に入れば全然安心出来ない不安の想像がおそってくる。
ドライブで流したノーサイドは忘れないんじゃないかと思う、実は初めて聴いた曲だったのだけどなぜそんなにも寂しそうなんだろうというくらい。
たくさんSNSとかで直に自分だって社会と擦り合わせながら時間を送らせて人生を送らせているのだけど、一方で何かを失ってるような気はしていて、いつもその何かは知っていてつかもうとしたいのだけどやっぱり逃げる方に自分は進んでしまっているんじゃないだろうか。
結局、何回も同じようなことを書いて、年をとって。
しかし、現実に立ち向かうのが怖すぎて。たくさん映画を見たはずなのに。
もう一回思うよね、自分の気持ちが先なのか、その音楽が先なのか。
そのようにして自分で生きてるようにして随分翻弄され踊らされ、ずいぶんと自分なんかじゃ踊れていきていないんだ。

軽いものを海や川、流れている中に投げ込む。手応えの反応が帰って来なくて、思いっきり投げたストロークとそれに比して投げた物体には強さが伝わっていなくて、流れている海も川もそれ自体に何かささやかな亀裂さえ入れることが出来ないでその流れの音がすぐにやっぱり周りをサラウンドを支配していく、僕を支配していく。
海に向かって叫んだのはそういうことかもしれない。

景色を作りたくてダンスをし始めたのに、人の中に溜まっていく景色はどんどんつかめなかったものでたまっていきそう。

2017年11月28日火曜日

バイバイ

京都にさよならをして、東京に帰って来た。
いつの間にか風邪は治っていた。

京都から東京に帰って来た日、というのは明日になるともう違う日になっていくので、この感じは今日だけの、特別のものだ。
故郷に帰ってくる、は大げさだけれどそういう今思考で、海外から帰って来た時のまたイメージを被せて考えて始めたんだけど、帰郷の映画といえばニューシネマパラダイスで、どうもあのことを思い浮かべてしまうと、自分の人生のあれに比べての切実さのなさに、うわぁという重力を喰らって、それが布団の中でのことだからなんとなくそれで眠りにつくんだけど。

でも今書きたいなぁって気分があってさ。
自分を分断したり、人生を扱いたくて、書いたり考えたり思ったりしようとして。こうして。

京都の街。
は学生の頃にたぶん恋をするようにして通うようになっていたんだ、だよね。
もう30歳になってしまう。
早いもんで。学生の頃はまだb-boyで関西にもたくさん遠征して、そのことがそのままその時期の僕を形成する大事なパーツにもなっているわけで。

なぜ、あの時踏み出せなかったのか。

とかを今考えてもしょうがない、のを何度も繰り返してスライドして、そんな風にしてはなるつもりのなかった30歳にもうすぐ至ろうとしているんだ。

自分の事なのに、知らなかったよ。

知らなかったことを終わりにしたい、とか言うんだけど、やっぱりいつの間にかスライドしてて。いやいつの間にか、じゃないんだよね、たぶんそれらしき手応えを前にしてこれじゃあ出来ないって感じて、それで、やらない、、なんだよ。ね。

京都にどれくらい手を振ったのか、わからない。

2017年11月11日土曜日

明日!も!

stスポット30周年に出てる。2日目!おわった。
なんか個人の発表がSNSやblogが増えて多く溢れていて、やっぱり使える道具があるとそこに自分をのせていく。のっかっている状態の人は街に増えている。増えすぎたのに、今日もとても個人的なことをあいかわらずやっちゃう。
髪の毛を青く染めたのだけど、少しとれかけている兆し見えて、ちょっとグレーっぽくなってるのを確認する際、なんか髪の毛をそんな風に染めたからこそそんなことする動作になんか他の人のことを重ねて、少しきゃっきゃする自分がいる。悪くない。
明日には丈夫になってビール飲みたいな。
公演について何も書いてないのだけど、明日走る道の景色をどんな風に辿りたいかあるいはその道の中で何が見えるか、なんか通学路のようなイメージを持って取り組むつもり。
悪くない。

2017年10月21日土曜日

体の中の湿度

眠れなくて、そうなると昔の夜を思い出したりしてそことなんか繋がって考えるようなことを始める。眠れない夜同士が繋がっているような。
なんか眠れないと明日が不安で、だんだん崖の方に追いやられるような気持ちに感じられることがある。布団ごと崖の淵側に追いやられるような。

たくさんがんばってるつもりでも中々生計を立て切ることがまだまだ難しくて、厳しい。
ずっとそのことばかり考えてやってきたはずだけど想像以上にこれは難しい。いや想像以上なんかじゃない、想像以上には物理的に頑張ることが出来なかったのだ。想像上では物理的にどれくらい大変なのかまでをイメージすることができなかったとも言える。
生きるか死ぬかみたいだ。死んでしまった友達はこういう理由だろうか。違うかもしれない。

小学生の時によくケンカをしている時期があったと記憶している。ある時期、ケンカの中で泣いても食い下がらずに物理的に応戦していれば負けないんじゃないかという考えがあって、それを実践している時があった。泣きながらだと周りの視線を感じると恥ずかしいんだけど、とりあえず目の前の奴に負けなければなんかたぶんこいつ狂っていると思われて、何かを示せるという考えがあった。そして実際そのようになっていた時期を思い出した。あの理屈が今の自分の状態と繋がっているんじゃないかと眠れない頭で考えている。
泣きながらでも物理的に手を動かすことで、負けない状態でいることができるみたいな。
大人だから泣かないけど自分の中に涙がたまっているような湿度は感じる。そういう戦いになるつもりはなかったのに、実感として。
これで合っているんだろうか?

2017年10月17日火曜日

大きい翼

もっと大きな翼で空を飛びたい、と言葉にする夜。
クタクタで疲れて寝る前はいつもそんな風にグラグラで、未来が憂鬱だ、これ以上にきっと体力とか落ちていくんだろう、、なんとか出来るとすれば食事を気にするとかだろうか。最近、毎日アイスもお菓子も食べてしまってる。そんなんで100歳まで生きたら汚ない骨になりそうとか、内臓が汚れそうとか思ってしまう、たくさん、めちゃくちゃ水飲んで汗出して、外に汚ない部分出さなきゃみたいなイメージを安易に持ってしまうが、それで頑張れちゃうこともあるなぁ。

雨が降っている期間突入して、僕はこの中に今いるの結構好きだなぁ。洗濯物は乾かないけど、それにブルーシートも洗ってないの溜まっちゃったけど。

なんというか雨だと、傘さしたり、避難するように走ったり、水が靴に入らないように気を付けたりして、雨を見ているんだよね、窓の中から外の景色を雨の景色を覗くみたいにさ。本当にその通りで、雨を見ている状態なんだよね、この見ているっていうのはなんか愛おしくもあるよね、人の無意識の部分かもしれないけど。虫みたいになってる部分みたいな。

大きな翼で空を飛びたい、っていうのは活躍したいということなんだ。
今、焦っていて、世界はこうなってほしいMAPを作成しようとか思っていて、VISION持つのやっぱ大事で、誰かしらがやれる人がやらなきゃいけないし、すでに始めてる人もいるわけで、本当に世界がいっぱいいっぱいで回っているのにギリギリアウトかセーフかで、、、自分から積極的に動くことも全然不十分ではある。

2017年10月7日土曜日

グループ展

TokyoCanalLinksでのグループ展に参加している。先週の鉄工島FESに引き続き。
あっという間に違う現場に立っている、それは先月の単独劇場公演から展示という体制でのフォームの変化。
違いへの戸惑いと試行錯誤を含んでいるのが今取り組んでいる形です。
実際、展示とパフォーマンスという形で取り組んだりすることになっていてこの形態さえも不安で臨んだのだけど、先週に引き続き、今日もまたいくつかの対話がこの場所で生まれたことが嬉しいと手応えとして確かにあった。
劇場公演とはまた違うことを来た人と共有したり、出来なかったりを今している。
こっちがハッとすることがこんなにもあるなんて、マジで侮れないな、って。
今、ダンスやアート、あるいはそれにとどまらずやっていることは出来ればまだ出会ったりしていない人と、出会った時に披露したい用意した手品みないなもので、いや手品ではないかなwでもまぁ、新しく橋を渡せるかどうかみたいな、工事で。
そんな手応えが少しあったから、頑張れそうだ。
負けてはらんない、ちょっと感動しちゃったりするけど、どんどんいってドアを開く、ノックを続ける。

2017年9月22日金曜日

19blues

小さい頃、よく泣いて次の日は目が腫れてるから学校に行きたくなかった。もちろんほとんど休むことがない少年だったから行ったのだけど。

"歌が美しすぎて、人生ってこんなに美しかったっけ、と五分の中で思うのだ。"
ポップスが発達し過ぎて、そのメロディーがこんなにも人をその気にさせているんじゃないか、この感情が芽生えてしまったんじゃないか。

全部が同時に起きているし、先回りされる時代だから、いつ泣いていいかわからなくて、それさえも知らないで過ぎていくんだ。一瞬、全部が一緒にやってきて、1人で受け止めているんだろうけど、全てが同時に起こるからそれぞれが1人で、やっぱり全体では何も起きてなく見えて、遠回りで伝わった。その時には空白しかない。

sweet19bluesの中に、今日は私が誰かの、明日は誰かが私の傷をいやす、なんて既にガタガタな状態で、安室ちゃんがわたしは本当はすごくない、と歌うところで歌えなくなってる。生きて伝えることがむずかしくて、よし、とか思っていつもいつもいつもやってるつもりで、でもどうやら全部つもりであったことが目の前に立ちはだかって。

誰かの恋がどうしてもうまくいかなくて、もしかしたらすごいそこに涙があったかもしれない。昨日は子供のように楽しかった。夢を考えるほど違う部分ではてしなく広がるのがわかって。
19歳の歌を29歳になって聴いて、安室ちゃん観てたらピナバウシュの若い頃の写真の顔を思い出して。天使みたいで。

歌が美し過ぎたんだろうか。
だったら、僕はやっぱりそこの中をおどるでも出ていくでもして、手を出していけ、天使が泣かないように。笑わせなきゃ。
若かった日はもっと上手くやれただろうか、よし、

2017年9月14日木曜日

新しい人

夜明けの街まで歩いていったらこんなにもきれいなんだね、で始まるのはフィッシュマンズの曲。気付いたらもうその時にはフィッシュマンズは活動してなかったんだけも、聴くと一緒に昔を思い出しちゃうね、そんな空間を歩いていたわけでも実際は僕の身にはなかったことなのに、まるで聴いてると記憶を思い出す。記憶とはそういうものらしい。そういう風にしてどんどん人の話が入って蓄積していくって保坂和志の本で書いてあった。
歌の中の歌詞はどうしても歌の中で最大限に力を発揮する素晴らしい歌詞であればあるほど。だからこれはやっぱり詩ではなく歌詞なのだ、歌う時のからだを持ってして歌詞として十分に活躍出来る。

ロマンチックな友達を思い出す。大学に入って出来た友達。そういう人に会ってだんだん自分も変わっていったんだろう。新しい人に会ってだんだん、その人にとってありなことが自分にもだんだんありになったりしてって。まだまだそうやってありな部分増やせれないかな。新しい人にまだまだ会いたいですね。
人生は一回しかないのに、無限ということを教えてよ、有限をとことん確かめるべく動くことによって、やっぱり追いつかないから、その状態が無限の夢をまだまだ強くするんだろう。というのが最近の持論。

芸術家であるということは、遠い星の誰かに、自分の輝きを伝えることだ。こっちも光ったらきっとどこかの星で見える。そういうレターを信じる。
時空も超える。


新しい人へ


2017年9月10日日曜日

9月。

単独公演終わって、この1週間。
すぐにイベントに呼ばれたり、何か聞きに行って思わず作家と話し込んだり、何か観に行って興奮して言葉が頭に溢れたり、予定を決めていかなきゃのプレッシャーの到来と絵を描き始める喜び、絵を描くことでそれ自体がこれからの地図でもあるわけでもあって。
で、段々と秋になっていこうとしてるのがわかるよ、空気さん。
1番好きなアルバムをふと聴き始めたんだ、イギリスのロックバンドの。
10年前に買った。映画とかバンドとか街とか、そういうのを浴びて、それになりたかったbut I am japanese,so I choose dance、ダンスを選んだ。自分なりのダンスが踊ることが出来れば、世界中に居場所を作れるような気がした。日本人として。強い個性として。強い個性がもしかしたら偏見を和らげたり、新しいコミュニケーションを生んだりすると信じていた、そして今も強く信じている。まだ試せていないんだ、あんまり。

そう、アルバム聴いてやっぱり焦ったんだ。まだそんなに試せていないことに。
青春とは何かをもっと知りたい。
まだ大丈夫かな?
ヒリヒリしているのは、だから、まだ、かけがえのない時間だ。

I ALL YOU WORLD PLAY、この作品がもし秋に作られていたならまた違ったと思う。冬に作られていたなら。とか既にそんなことを思い始めていたんだ。
やっぱり映画とかについてのこと、ロックとか、若者について、ロマンチストについて、考えている。

いわゆるダンスの系譜じゃなかったかもしれない。ダンスで満たされたい要素がもしかしたら入っていなかったと思われるかもしれない。
しかし、踊ることで映画に、スーパーに、近付きたいと考えて来ていた、ずっと。
もっと色々展開するのも考えている。
そのことが既に歯がゆい、がんばれ、自分。もっともっと、やりたい。

2017年9月3日日曜日

最終日〜

あっという間の9月の風、気温が吹いて、自分と同じくらい年を重ねた人とかがやはり感じつつある9月のさみしさとかについてぼそぼそと言っている。僕も思っている、代わりをして言ってもらってるのだけど、自分からも言って言うことで確かめたい、ね。

明日というか今日で単独公演終わり。
早い。ね、それはそうだ、そう言う日だ、今日は。

なんか言おうと思ったけど何も言えない。よし、寝よう

2017年8月19日土曜日

ベッドに浮かぶ風が吹いた

またしても眠れないわけなのだけど、これはやっぱり昼間に浴びたエアコンのクーラーと関係があるんじゃないかと思う。この生活を変えるために今日は無理にでも朝起きたんだからその貯金で今日はぐっすり眠れるつもりでいたんだけど、、、寝れないかぁ。
これで本番の週迎えたらきついな、、なんとかしなきゃ。
と、部屋のエアコンは使わな過ぎて壊れてそのままで夏は窓を開けるんだけど、今毛布にくるまってベッドの上をいくつかの窓からの風が一緒に吹き抜ける瞬間があり、気持ち良くて、目をつむっていたからそれはベッドのまま空を飛んでるようイメージと浮かんだ。
ありがたい。    でも、本当にたまにはベッドに寝てると風が吹いて一瞬でも外の空に浮かせてくれたらほんとたまらないと思うよ。あぁいいきもち、ってなると思うよ。

2017年8月18日金曜日

眠れない夏の夜

困った、また眠れない。眠れないことなんてほとんど夏でもなかったと記憶しているのだけどこの夏は何かおかしい。もしかしてエアコンとある部屋にいることが昼多いのも原因かもしれない。今、世話になってる稽古場にもエアコンがついている環境で、毎夏たくさんのTシャツを汗をかきまくるために取り替えるのだけど、今年は少ない気がする。雨も降って気温も低いし。この夏は、太陽の下でたくさんランニングをするという経験を欲していたのにこれじゃあどうもうまくいかない天気。

今は改めて、岡崎乾二郎さんによる絵画の準備を!を読んでいる。めちゃくちゃ面白い、前読んだ時より理解は増えている、まだまだだけど。こないだの展示の反省をし始めて今後の展開を改めて自分に集中して取り組みたい気持ちと、今正に取り組んでいる単独公演に向けての稽古の時間、途方にくれる時間、は幸福としか言いようがない。いいペースで進んでるわけじゃないけど、やっと少しづつ問題に向き合えている気がする。ミニマルな状況を整えられた上での。直接的社会ではなく、少し間接的な距離感で社会と向き合っている状態での制作を。

頑張ってます。
よかったらぜひ、8/31〜9/3に横浜stスポットにダンス公演を見に来てください。
I ALL YOU WORLD PLAY
という作品です。

2017年8月12日土曜日

最近の取り組み

パティスミスの自伝を読み始めた。写真家の友人ヨーガンの人生の師匠が確かパティスミスだった。何かやはり、ずっと日本にいて日本人だけとコミュニーケーションして、何か言説とかを気にしてるのいやだな、もっと知らない人と出会い、頼りない情報をもとにコミュニーケーションをしたりしたい。という根本的な気持ちがいつも実はつきまとっている。
単独公演に向けて、取り組んでいるんだけど、これまで自分がたくさん使って来たモチベーションの源泉からじゃ作っても届かないような気がしている。もっと深いところから組んでくる水じゃなきゃ成立しないし、前に進めないような気がしている。
だからもう少し状態をばちゃばちゃにしておくんだけど、しかし具体的な建物を建てるべく取り組みを働かせていこう。
間に合えおれ!

2017年8月4日金曜日

2回

困ったことに眠れない。今日は二回も練習したのに。こないだは1日に二回ランニングした。1回目のランニングはお昼の時間に太陽を浴びながら走ろうと思って飛び出したら、途中で雨になって(そんなの走る前から予感していた曇り空だったけど、前日からこの日は太陽を浴びれる時間に走ると決めたのだったから。)家が近付く頃にはびしょ濡れになっていた。家の近くの通りを走る最中に視界にベビーカーをひいた女性が目に入った、雨宿りしていて傘を忘れた様子。雨は止む予感がなかったので家に着いたら傘を1つ手にしてその人のところまで戻って傘を渡した。こっちの身なりはひどくてレゴのタンクトップにびしょ濡れで変態かよ、って思われそうだけど傘のが大事でしょ、と渡しておいた。その後帰ってシャワーを浴びたりしたんだけど、案の定止まずにその日はずっと雨だったから渡しといて正解だった。そして傘のストックがあってよかった。傘というのはマラソンのバトンみたいだ、家や目的地をゴールとした。
夜はまた朝と同じコースを走った。川沿いなんだけど、川は今工事を始めていたから、色んなものとかこととかが、少しぐしゃぐしゃにされてはだけていた。そんな川にすごく親しみを覚えて見ながら走ってるのは楽しかった。その光景の説得力は、小さい頃に泥んことで遊んだり、絶妙な状況でそれでも何かを作ろうとしてる時に案の定、自然に破壊されたりしながらもギリギリ洪水とかを止めようとしてダメだったりした制作における戦いを思い出した。相変わらず、水とか土とか葉っぱとかの強さ、がまだ顕在してる。昔のライバルたちがまだ普遍的にあるような光景に親しみを覚えたのだ。

とにかくランニングを二回した日の話でした。

今日は二回も練習したのに眠れない。夏はやっかいだぜ。
高校生の頃、よく二回どころか1日3回とかいや4回なんて日もあったかもしれない、場所を変えながら練習をしたことがあった。
あの時間、今は大好きだなぁ。
どこでもノートを広げちゃうみたいな。移動可能な自由帳みたいな、自由があった。
高校二年生の頃のある練習の日のこと、文化祭のダンスの練習を地区センターみたいなとこでしたんだけど、その日食べたパンが入っていたビニール袋で鼻水をかむ、というギャグをみんなにかましたらウケてたの思い出した。あと廊下で友達と待ち合わせした時に、横からスライドで入って来て、お待たせって言いながら寄り目をして挨拶してタイスケを笑わせたり、バナナの皮をわざと踏んだ転ぶやつとか、一緒に思い出しちゃおう、この際。際限なく。ほら、このようにしてどこでもノートを広げちゃう、みたいな移動可能な自由帳が今広がっている。ことが出来るのは、いいね。いつでも大丈夫そうだ、これさえあれば。いやあればなんて言わず、欲張っちゃおう。

大人になってもうまく、もっとうまくなって、練習を二回やれちゃう日とか作りまくりながら生きたい。
単独公演に向けて焦る気持ちと、でもこうしてまた出会えてしまった光景に少し驚いていきます、1人っていうのも悪くない。
この広がりさえ含んでる世界の大きさを、一緒に伝えたりもしたいな。
この仕事に関する話の中で。

2017年7月27日木曜日

speed july

白い嵐、が良かった。映画の話。映画はやっぱりいいな。
speed july、この七月をそう呼んでもいいだろうか?と言うくらい、大きな波が2つあって、1つ目は越えていよいよ今日その2つ目だ。サーファーの気持ちで乗り越えたい。なんていうのは今思いついた。

高校の大好きな友人が結婚をした。高校生活の一、二を争うくらい一緒にいた。いやそうじゃないかも、基準が曖昧だ。何年か前、彼女の誕生日の日ということで、TSUTAYAでDVDを1つ選んでそれをプレゼントすることを遊んだ。ハリウッド映画はよく見ていたので色んな並んだ映画の内容についてプレゼンして回った。主に恋愛映画だったと思う。そのことが楽しくて、少しだけ恋愛映画をたくさん見たことが報われた。このジョークを僕はすごく大事にしたいと思う、もちろん彼女のツッコミもそこにはあった。現実をなんとかすべきね、みたいな。w
すごくお世話になって、なんか僕のことをすごく見てくれて評価してくれた文章なんかを読んで、やはり泣いてくれたりして。心の底から喜んでくれていたのかもしれない。
僕は、そこでコミュニケーション出来るなら、時間を生きて本当によかったと思った。
人生にギュッとつかまれるように、思った。

式場で仲間たちと人生はあと80年あるから、みたいなことを言いまくっていたのはおめでとうと同時に、なんか僕らは仲間たちとこのままでいこう、って気持ちからかもしれない。何パーセントかは。
みんなのことをそんなにタフじゃないんじゃないかって思ってしまうからなんだ。
一方でずいぶん自分だってナイーブなのだけど。
困るくらいに。

とにかく波に集中しなきゃ、白い嵐のようになってしまう。
人生は複雑に、何層にも生きていく、みたいだ。

2017年7月24日月曜日

疲れ

今日は本当に疲れていた。頭もキーンとしていて、しかし昨日たくさんお酒を飲んだわけじゃない。しかし昨日は疲れた状態でのお酒だと自覚しての飲酒だったとは思う。
いずれにせよ、今日は本当にクタクタだった。あとちょい、今週さえ乗り切れば。
っていう今週があり過ぎた今月だ。目の前しか見る事の出来なかった7月がジュライがJulyが終わる。
頑張ったと思う、自分に拍手、じゃなく休みを。
明日はジェニファーたちと集まる。うん、積極的に、英語できないけど話せてるのはジェニファーと池田さんのおかげのこの展示期間です。
日本人のさみしさ問題をもしかしたら外国の方のやり方や彼らが救ってくれるんじゃないかって思っているのが基本的にあるんだけど、、これに関しては検証していくべきかね、自分自身。

2017年6月30日金曜日

I can't get over the film.

信じられない時間にいる。タイミングを逃し眠れない。夏のせいか。こういうの本当いやだな。でもこういうの文学的だとか思う自分もいて。。。
昨日は大物ダンサーと、対談をした。雑誌の企画だったけど、
その話をもらった四月のその日は中目黒でCDジャケットの撮影をしていて、メールが届いてその名前を読んでびっくりした。
僕がコンテンポラリーダンスを知った当時に活躍されていたまさに今をときめく人であったから。そういうのを頼りにその世界を知っていったから。
その人の話を聞く中で、愕然としてしまった。十分、その人の経歴や仕事っぷりに圧倒されていたつもりだったが、なんと色んなことをしてでもお客さんを増やそうと努力していたことか、そう考えると本当に今は全然始めれてない感じがした。頑張りどころ、、、落ち込む暇は微塵もない、やれるかやれないかで勝敗が決まる。
負けたとか勝ったは、本当の意味では重要だな、つまり人生をかけて、あるいは今若いこの時間をかけて、あるいはいくらか年を重ねたこの時間をかけて、あるいは年老いたこの時間をかけての戦いなのだ。短いその時だけとかのじゃなくて、長いプレッシャーと長いスパンでの目標と視野が必要なのだ。それには科学的な努力が必要になる、また何よりも勇気。そういうことの意味でパンチをもらった。

一方で、他の話に戻るけど、そう、今日まさかそんな風に会えるとはコンテンポラリーダンスとか意識し始めた時はあんまり思ってなかったかもなぁいや、そうなりたいとは思っていたかも。しかも自信もあったかも、、、うん。(何かイメージを逆算しようとしていたかもしれない)
しかし、だからそのようにして自分が目標とかをクリアしていくんだからこれからもしっかり目標をたてクリアしていけるようにするんだ、と思った。

誰かのブログを読んで、踊る理由がわからなくなった、と仮に書いてあったとする。
自分の踊りを、あるいは自分以外の踊りを、あるいは人を、世界をもっと見つめればいいんじゃないかと思ってる。それに関しては生活と並行して必死に探すべきで、自分のオリジナルの強さは持っていかないといけないと思う。そうじゃない人とは僕はやれないかな、そういう人に関してはたぶん傷つけてしまうと思う。それが僕の一線かも、今のところ。それはしょうがない。
深い井戸から水を汲んでくるように、モチベーションをいかに深い井戸から汲んでこれるかだと思う。僕は結構、深い井戸を見つけたので、あんまり負けない、だけどまだ不十分だからもっと深い井戸を探している。でもその井戸に関しては嫉妬するものでもない、だって世界がかなりピンチだからだ。猫の手も借りたいくらい世界がピンチで、ちょっとでも人の手を借りたいんだから、そしてしかもその人が出来れば自分で指示出し出来るようであってほしい、ほら何かに似ている、、政治と同じだ。
時間も空間も有限で、今次の瞬間にはたくさんの可能性も死んでく中ででもしかもBBQとか花火とかもやりながら楽しんで味わなきゃならないとも思っている。本当のところ。

映画がいつもすごいから僕の人生は負けてばかりだ。
敗北に満ちている。
恋愛映画を星の数ほど見ても明日にも何も達成出来ていない。
あらゆる方法を手にしたはずなのに、日本語に僕とあなたとの関係に縛られて、世間を気にして何も手が打てない。そのようにして映画に負けて、絶望の雨が降り注ぐ、決定的な負けだ。上の方に書いた多少のダンスの達成だって、映画への敗北を前にして、何も力を持たないみたいに、、、いや、ちょっとはあるかな、 、、。そうちょっとなのだ。
もっと圧倒的でなかったせいなのだ。
もうすぐ30歳を迎える。人生が手強い。しかしチャンスはいつも無限にある。
ストレス社会だ、なんて言うなよ、全部君1人でクリアできる。世界を変えられる。
僕は君のことなんて知らない。君は僕のことなんて知らない。
君は世界を前にしている。

2017年6月23日金曜日

今日

今日のこと。昨日は、二回目の美女と野獣を観に行った。昨日は1人でポップコーンとコーラを用意して、凄い乗り気ってわけじゃなかったけど時間が空いて迷ったあげくのベストの選択肢としての二回目でした。美女と野獣、この映画には全てが入っているから。そんな映画が公開中に二回も行くことは大事な気がして。過去になった時に、二回確認したことを思い出して少し励まされるかな、なんて思って。

そういえば最近、フリースタイルのラップを繰り出す時に少しやりながらあちゃーって思うのはこれに関しては、唯一無二性を出せない感が強い。何事においても割とその葛藤に勝って自分オリジナルを配置可能にしてきたつもりがラップだとそうはいかない、だから最近人の前でのれてないんだということに今日やっと至って気付いた。OMG。先は長いね。

美女と野獣の話、すっぽかした。
全てがつまってる映画。男子も見たらいいと思う。1人でもいいじゃない。
映画の光が君にあたり、君を照らす。


それは昨日のこと。
今日はずっと豊田議員と痴漢のことをずっと考えていて、それがぐるぐるして、それらが内包するも問題たちが立ち上がってたたみかけておそってきて、嘆きそうになった。ツイッターに嘆きそうになった。
その時、自分にやってきた言葉は、嘆くな!作れ!、だった。
一個ずつ世界をかえていこう。って言葉もあとからやってきた。
それで少し歩きながら笑えた。
言うまでもなく、SNSでの言葉がこんなに放り投げられるのに、僕らは現実世界でこんなにも言葉を放つことに怖がり、動けずにいる。
現実の中で動けるようにするために何が必要かを、一つずつ作っていく。明日も出来るところから。やろう。
嘆いている暇はない。

2017年6月10日土曜日

matsumoto

長野県松本市に来ている。あそびなおす、というイベントに参加するため。awai art centreが素晴らしいレジデンス場所のようにして機能していて、今眠ろうとしている。
松本の街は思ったよりこじんまりとしていて、ストレスもない。
そういう街を歩いていたり自転車に乗ったりしていると、東京とは違って自分のリアクションがすぐには起こらない状態で、段々自分の声が増えてくるようだ。
だけど、もしかしたら人が少ない分、つるむ人というのも決まってくるんじゃないかとか考えるとソワソワしてくる。東京は人が多い分、その多さに隠れて色々切り抜けて好きにやれるが、そもそも人がいなければ隠れたりも出来ないかもなぁなんて考えたり。
京都のこともこれに合わせて考えた。 果たしてじゃあ京都にずっと住むことは可能なのか?京都にさえ飽きてしまうんじゃないかとも思ってしまっている。
しかし東京の限界だって感じる、場所というより人の。
一方で自分がまだ直面出来てない人生の世界のパートもだいぶあって、非常に先が思いやられるなぁ、なんて思いよぎりながらも明日の本番。
先が思いやられまくりだけど、先は見てみたい、知らないところに。

だけど、なんかこうして別の地にふわっと一瞬来ているのはやっぱりいい。
松本に来てるよー、と長野の色んな友達に言いたい感じ。

2017年5月19日金曜日

太陽の季節、

煩悩の遅さ、と思った。今日は5月19日だろうか。
昼前に起き、今日は英語の勉強はせず、美女と野獣のジャンコクトーの方を見て、
ギターを手に取り音楽の練習。
ののち、絵を描いていて、明日が途中経過を見せるタイミングで6月納期のもの。
天気が良くて、青いシャツの汚れがついたのもまぁ見て見ぬふりで出てきた。

電車があいかわらず僕を運ぶなぁ〜。

じゃなくて、東京に帰ってきて物事のシンプルに行かなさっぷりに、どんどん複雑になっていくように見える事物に、自分にいらいらしている。
ふっきれると思う。
自分に固執せずに、その動きそのものになるんだ。目的を考え、それに走っている状態にする。
人生を生きたいでは遅く、人生そのものになる、くらいに。
失うものはなにもない、ここに生きていることがある、おい、生きている、太陽が照らすことによってそれが明らかになるんじゃないだろうか。


2017年5月14日日曜日

散文

帰国後、ポエムに頼ろうとしてしまう部分も強く出て来る。それは日々を抽象的にしておくためだろうか。自分がいる場所を詩的に装うことでの抽象化を図るみたいに。
ほとんど怒っているのは、日本語で生きるこの身体のせいだろうか。

なんておさない社会なんだろう!

山田かまちを思い出した。

あたたかくなり夏のことが少し近付いてくると自分がお寺とかで踊る姿を想像してる。
達成のされてない夢。
いい風通れと思いながら。

夏は思い出す。
ほら、またポエムをしようとしている。
気をつけねば

2017年5月12日金曜日

子供全部

生きているときは全部使って生きたいって思ったじゃない?あの時。

そうして、またその言葉が僕に降ってきた。

生きることは有限で。

僕が今ひとつラテン系になれない理由はここにあるよね、ダメっちゃダメで、文学にしちゃえばどこか美しいかもなんて思っちゃったりして。
でも生きることは有限で、

こないだの旅でも、全然その有限を乗り越えることが出来なかったのだ。どこまで行かなきゃ行けないんだろう?

ミスチルを聴いて中3の頃を思い出す。
僕はその時に大きな崖の上に立っていた。
そこからは世界を見渡すことが出来た。
興奮して恐竜みたいだった。
僕はまだそこに立つことが出来るか?
きっと出来るさ。
僕はそう言いたい。

2017年5月5日金曜日

冷静と情熱のあいだ、また

Twitterもfbもいつも窓というよりも気を付けないと大体壁となる。こないだの旅の中、ずっと歩きながら、その壁を越えることがどれくらい難しいことなのかというのが日に日に自分を追い詰めていたのに。日本に帰ってきてそのことを忘れてしまいそうでこわい。いや、ぎりぎりいつも踏みとどまるとは思う、だってその先の目標の杭だけはゆるがずに打たれたのだから。そのことを考えるといつもこわい。それがもし達成をされなかったら、僕は自分にひどくがっかりするだろう、それだけは本当にこわい。でも挑戦の前の準備の段階であるから、イメージが難しいけど、すでに始まってるちゃ始まってるのだ。


関係ないけど、もう一回、冷静と情熱のあいだ観る。
確かに映画のクオリティとしてどうだろうってとこもあるだろうけど、間違いのない味の素材の大木が縦や横に張り巡らせされてるので、大雑把にやっぱり観れてしまうのだ。
色んなことを観ながら考えさせる要素があって。
エンヤも流れちゃってさ。
大学の頃の友人で江國香織さんが好きだった子のことを、思い出して、それで彼女の小説を久しぶりに読んでみたい気持ちにもなったのだ。

達成したい壁のことばかり考えていた方が嫌なことからは逃げられるかもしれない。

2017年4月21日金曜日

ある種のターザン的な

えっと東京に帰ってきて、今、もうすでに始まりつつある、もまれつつある。
今日の感じは、まるで高速道路の上でたくさんの車が早いスピードで行き交う中にいきなり立たされた感じ。直接はひかれないけど、目の前を早い車が次々と通って行く怖さ。
もちろんそのあとで現実に引き戻され、よし頑張るぞ、となるやつ。
にしても今年度すでに新しいことは新しくなりそうで、海外行って立てた方向性と決意だけを純度高めで保ち走り切る一年っていう風にはならないで、そのたてたマストを張りつつも海面の流れを汲みながら辿り着け!みたいになるんだよね、I knowだよ!
うるさいジャングルの中に入って来た感じ。
ターザンとして、やっつけていきたい。
結局、決意みたいのしか書けてない!

2017年4月16日日曜日

青い白い

ということで明日は友人のウェディングパーティー!だ。
今回は、作る、で参加させてもらったんだ。だから明日は上野くんと冠さんがいるし、新郎新婦2人や場所のスタッフも含めての空間混ぜこぜを行う。
そのまま期待しちゃえばとてもいい雰囲氣になると思う。
楽しもう。しかし、がんばりどころあるので、そこはハラハラですが。
最初の一山はなにしろ明日なのだ、新しい自分に!w
会いたいじゃない。

2017年3月22日水曜日

tomorrow's breakfast

ベルリンに入った。実は他の場所にずっと書いていて、そのせいでこっちの方をかけていない。サーカスホステルにまた泊まっている、入ると相変わらず騒がしくさすがサーカスホステルと思ったら、部屋にいいキャラクターのメンバーが集まっていて中々楽しく、素敵な時間にしてくれている。だから調子にのって書いちゃったりして。
すごく色んな色があり、いい色の時間を過ごせている。明日は下見をするぞ、って変な観光だけど。
うん、そう思ってる。
朝ごはんが楽しみだ。

2017年2月23日木曜日

mi hara

たまたまつけたTVで中村獅童とMIHARA YASUHIROの対談をしていた。僕はファッションに疎く、ミハラさんを見るのも初めてでやっとこれがミハラさんかぁぅて感じだったんだけどその人となりに一気に引き込まれた少年のような面持ちだった。
中村獅童さんがお客さんの拍手を語る際に不覚にも泣いてしまいながら話していると、映されたミハラさんの顔からも涙が流れていた。思いがけない瞬間を見ることとなってしまった、そのやりとりに強いシンパシーを覚えた。誰かとカフェで話してる際にそんな泣きそうになることがある、そういう風に生きてる瞬間が重なるとそうなる。
びっくりするような不意打ちのTVのリアリティだった。
TVかどうかを飛び越えてミハラさんに出会ってしまった、もし僕がもう少し成功する機会が今後あるならミハラさんの靴か何か身につけたいと思った。
こないだ見た村上龍と坂本龍一と見城さんのトークとかも思い出して、今この若い時期に頑張ってる最中に出会ったそういう若い切磋琢磨し合える誰かに出会うこと。
それがもしまたあるなら生きていることをもう少し青春として肯定するちからがそこに湧いて出てきそうだなと思った。
自分を頑張らねば。

2017年2月20日月曜日

choreograph終わって、

choreograph横浜公演が終わりました。ダンコレのプログラムが終わり、TPAMも終わったのかな? 今回はギリギリで体調崩すアクシデントもあり、周りも巻き込んでしまう迷惑も含めて危うい状態で本番を迎えました。なんとか乗り越えた。
多田さんのもとメンバーが集められて、こんな組み合わせは世界で類を見ないという感じでした。群青さんとまさかこんな形で一緒になるとは思いもよりません、ブレイクダンスやってたことならなおさら。いつも始めたての僕は彼の出たDVDをたくさん見て、この人のブレないかっこよさ、b-boyだけど誰よりもダンスであるかっこよさに憧れていました。いったんは見る目も僕だって変わっている時期もあったのだけど、今回の現場で改めての偉大さをいつも目の当たりにしました、人としての大きさとか、そういうことでもう一回ブレイクダンスを(ここではブレイクダンスじゃないのに!)すごく変則的に出会い直す時間にもなったように思います。
たくさんの他のことについても書けそうだけど、明日が早いから、そのことだけを。書いた。

明日からメンバーであぁだこうだ話したり稽古出来ないの寂しいな、っていい年こいてこの想いなんやねん。
そう今週末から旅にも出るし、先週はバイト先の最後だった。なくなった職場のショッピングモール。追われるように今まで歩いていた道が消されていってる状態みたいです。
先が見えなくて、こわいな、大丈夫、

2017年2月10日金曜日

フェブラリーラブリー

ともかく明日で、明日というか今日で7年働いたバイト先の最終日だ。
こんなに長く働くなんて思わなかった。働き方、付き合い方も変化していった、当たり前だけど。
これが終わったら舞台で、それ終わったら旅の予定。チケットまだとってない。
四月には初めての人の結婚パーティーを今作り始めている、それぞれが新しくあってその分大変だけど自分を驚かせていきたい、今年は。
昨年はダンコレ終わってすぐ岸井さんの企画で、グループイノウ聴いてて、そしてあの子と歩いた浅草でまるでマグリットの絵の中にいるみたいに時空が歪んだ風景の中にスカイツリーがあって。生きてる心地がしなかった。
その3日後くらいにともかく外出した先で小島ケータニーラブが流れてて思わず店員さんにこれなんですか、って聞いて聴いたけど、あまりに彼の持ってくる空気感とあの子のイメージが重なってしまって、狂ってしまいそうだった。
その前後にブルーシートがありどうぶつえんのスタートがあったんだ。
頑張ったと思うw

2017年2月9日木曜日

グランブルー

またしてもこんな時間。2月。久しぶりに髪を染めた。10年振りに色を入れた。
俗っぽいことをある部分において避けて来たように思う。何か他を優先するあまり。
しかし今度はまた自分を少し驚かせようとも思って、いやでもやっぱり外に向けてそういうこともやってみようじゃないかって思った。
そうしていけば少しは突破口も見えるかもしれない。
今年は突破口を見出したい。コツコツしてきたことの一方で。
バランスだ。
どっちかに陥りがちに見える人をよく見かける。
それに自分だってハマっているとも言えそうだから、あわてて少し頭切り替えようと思うのだ。
あぁ、おやすみ。
昨年はgroup inouばかりこの時期聴いていたな。今もだけど。
グランブルー見てイタリアに行きたくもなってる、懐かしいなナポリとか。

2017年2月1日水曜日

インターンシップ

iPhoneが水没したのは昨日で、まだ復旧していない。初めての水没でテンパってドライヤーの熱をあてたら変な音が電源切ってるのになってたからもうダメかな、、
いずれにせよ、こういうのも一つの現在の自分の身体の延長みたいなとこにあると思うのは、これによってそんなに精神的にショックは受けてない方だとは思うけどやろうとしていた作業のスピードがその時点では下がるからだ。あれもこれも、そのiPhoneが使える体で予め考えてあったから、少しひるむわけ。面白い。
イレギュラー。
まだ三月の旅のチケットもとれてない。どこに行くべきか決まらない。これは若い子に夢を持ちなさい、って状況にある意味似ている。夢は言い過ぎかもしれないが、せめて目標を持てくらいのニュアンスに似ている、というのはそういう目標を持つっていうことは結構あらゆる想像力や情報や行動を伴いなんとかしてやっと立ち上がってくるものであるからだ。それと同じ感じにどこ行くかを今回決めるのが難しい。これからの人生において無数に宿題があるからだけに。

今年はまた昨年以上に人を巻き込んでの計画がいよいよ色々あって、ずっといつぱいいっぱいかもしれない。40歳まではいっぱいいっぱいでとりあえずいってみよう作戦が結構候補としてある。

インターンシップという映画を借りてDVDで観た。これがまたよくありそうな、よくある型でのハリウッド、、だけど泣いちゃうっていう、まぁこれに関しては少しだけど。
典型的なチームでそれぞれ見せていく流れと、キュートな女の子にかわいくアプローチし受けていく羨ましいあのパターン、といい景色の中にいる彼らの、まぁそういう構成で。
ずいぶんたくさんのそんなありきたりのアメリカ映画、軽やかなフィクション(だって現実のアメリカはトランプが当選するくらいシリアスで笑えない人がいるかもしんない、そんな中での)を見てきた。
アメリカの現実との差だってあるけど、何かそれでもこっち側でその映像の光を受けて、それでも僕は感動して変わって人生をなんとかしていきたいよ、と思うのだ。
もう一回、何度でもサビを聴いて、again!挑戦するのだ。まだまだ何も手にしていない!
人生が最高であると知りたい。

2017年1月28日土曜日

1月末

なんというか進ませなきゃいけないことが本当にもたもたと遅れをとっていく。一方で、じっくりやりたい自分の制作の方にも手をつけていて、それをするともっとそこに時間を注ぎたい気もしてくる。
1月ということで、気持ちは今年からの真っ白な部分への抱負をめいいっぱい詰め込む、今のうちにイメージを膨らませておく気持ちで臨んだのでした。
2月に入ったらあっという間に舞台も本番だ。
だけど、今回の本番はまた少しいつもと取り組み方とかも違っているパターンだ。

今日はパーティーだった。
パーティーでのふるまいって難しいっちゃ難しいし、そんなのないっちゃそんなのないとも言えるし、でも今年は多くのパーティーにも行きたいと思うんだよな。
一方で振り切ったところの時間も持ちつつ、パーティーにも行ったりして、よくわからなくもしていきたい。
全部。

しかし、今年は新たに、気持ち新たに行く気で満々だ。
出会えるかな、、それしかない、で勇気とか現実の努力とかそういうやつ。

2017年1月25日水曜日

2つの少年

銀杏boyzとgoing under groundのライブを観てきた。
トワイライトとか銀河鉄道の夜とか、高校生の頃多摩川を走る電車越し聴いていた。
その時、僕はその映画の中にいたんだ。
まったくこじらせやがって、、なんて言葉言えたらふさわしそうでぴったりしそうだけど、やれやれまだこじらせてるから、なんも言えんわ。
でも今日見れて、なんでこんなに実際会うのに時間かかったんだろう。それはチケットとらなかったからで。
宇宙と時間が決定したんだって言っておこう。いずれにせよ会った今夜。

ちがう見てたんじゃない、ここにどうやっているかを考えていたんだ、ずっと。
それが今のぼくをつくった。
僕は今、なるべく、いようと思ってる、で、いれると思ってもいる、結構最強。
今夜ライブ見て、僕はそうやってそこでもいることができた、だから少しさよならでもあった。
そう、だから最強の自分は手に入ったからあとは努力してやれるようにする、手を変化させ武器にするみたいにして、それで道を切り開いてく

さようなら
そして、みんなハロー!



って一度上のとこまで書いて付け足し、
彼らがいなかったら僕は窓の方を見て空想にふけるってことも少なかったかもしれない。
夜の多摩川の先の空を見上げたりも少なかったかもしれない。
なぜ、夜空を見上げてしまうんだろう、若い人たち。
僕にとってはわかんないけど、それが映画につながったんだと思う。
フィクション的な世界。
何か月が出たり、そこを電車が走ったり、草っ原に腰をかけたり、チケットを握って上映を待ったり、まだ会ったことのない、会うこともないかもしれない誰かへ想いを飛ばしたり、高校に通いながらも他の光景をいつも待っている自分がいたり。
それがなんか映画にするしかなかったんだ。
もう一回、夢を見るために。
何回も頭にイメージを抱いて生きているって、それは何回も同じ映画を見に生きに来てるみたいだまるでって思った。
どこかからやってきて。

何か形に僕だってできたらってことを考える。

2017年1月21日土曜日

man and woman

背負い投げ、したくなるような人生。いやもっともっと、裏と表を反転させるようなことをしてやりたくなるような自分の歩みとかがあったとして。
でも、結構僕はお酒飲んでない時に沈むことがあって、お酒を飲むと大体調子がいくらかよくなる時間が出来る。今日は打ち上げのご飯ご馳走になってたくさんのお酒を飲んで、最寄り駅までの電車をなくして40分くらい歩きながら、音楽をかけて帰って来た。
そしたらお酒と重なって、なんか昨日のことなんかちょっと笑えるくらいに、新しい未来に少し期待してしまうのだった。音楽をもう一回、その状態で再生することでまた生きれるような感じがした、って言っても、29年間自体が失敗だったって思うことだってあるのにそれが反転してしまう瞬間を時間をまだまだ生んでくれたりすることのコメディーっぷり。
それもこれも最近聴いてるmy little loverのおかげなのかもしんない。
だけど作った彼らの間にだってあれやこれやがあったことはwikipediaで確認出来る、だけどそこで確認出来ない素敵なことだって彼らにあったはずだ。美しき幸せとは永遠であるかもしれないし、永遠ではないかもしれない。
しかし僕は今どっちだっていいと思う、生きることは重なっていくことである、いつも人類に言い切ることは出来ないのだから、どっちも許すしかない。
そしてもう一回再生する。
今日は行けるかも知んないの連続を生きる。イェイ

2017年1月14日土曜日

コンティキ

コンティキという映画を借りて見た。DVDはずっと1年中見ている、昨年は大体150本くらい。見ているのか、見ていないのかくらい覚えてないものもあるけど、時間軸としてたとえば何かご飯を食べてる時に見ている。
コンティキというのは、実際にあった話で文明がどこから来たのかを証明するために当時の材料を用いて船ではなく筏で南米から南太平洋の島々に流れ着くことができるかということを実際に試した冒険家たちの話だった。
そして主人公のトールは泳げないということの上に、それでも筏に乗っていく決心をしたということだった。
昔、部屋にチェゲバラの印刷された布を張って飾ったことがあった。
今はしなくなってしまったけど、、今でもそういうものを見た時に自分の人生が果たしてあっていたのかを疑っていきたい、段々とそういうのが抜かれていくような感じがする。
それは少し危険なことのようにも思える、だってまだ何も達成していないのに。

2017年が始まってもう13日も過ぎてしまった。1月は大いにこれからの抱負を詰め込めれる真っ白なページだと思う。だから今年もそうだけど、何年後かはどうなるのかも含めて、もっとイメージをしていかなきゃと思った。そして一方で、何が起きるかわからないというそわそわもあって、よし。

2017年1月10日火曜日

風邪ひきて

風邪をひいて3日間近くも寝込んでしまった。朝、行けるかなぁと思って風呂場で見る体は骸骨のように白く、あっという間に肉や筋肉を失ったかのような具合だった。
sons wo:の新作上演に備え、羊をめぐる冒険を読み返す。これを読んだのは何度目だろう、僕は結構初期の村上春樹の作品の方が好きかもしれない。より物語的な内容だと思う、たまに絵が入ってくることもあり絵本のようにイメージのページをめくるように読んでいる感じがある。
そういえば、途中まで一緒に活動を共にしていた相棒ともう5年くらい、何かを作る上でのやり取りとかしていない。思えば19ぐらいから強い付き合いの関係でいた月日だった。そんな彼の助言もなく、そこから先はずっと自分の決定でやってきた。その前は、結構彼のツッコミが入っていた。思えば人生において、そんなに他人からのツッコミがあるなんてことも珍しいことだろう、、彼だって相当なものをかけてツッコミをしていたんじゃないだろうか、と今になって振り返ってみたりする。彼とヨーロッパを回ったのが21歳の頃だった。
今年こそは旅にようやく出れそうだ。
1人で旅をした人はいつも羨ましい、その人が自分で手に入れた風景の宝を持っているから、それは見せる必要もなく、ただそこにあるとこれ以上ないロマンなのだ。

行き詰まりを感じているのでなんとか打破したい。

2017年1月3日火曜日

廻転忍者の新年会ということで、コウさん、ゆうたさん、北斗さん、そのガールフレンドのジーナと5人で集まった。
自分1人だけ後輩というこの感じが懐かしかった。高校生の頃はいつもメンバーでいれば自分1人だけ後輩という感じだったから。その時に、学校の外でそんな先輩たちと一緒にいることはやっぱり中々気持ちのいい優越感を多少なりとも感じていた。
若かったんだ。しょうがない。w
久しぶりに会うのは北斗さんとゆうたさんで、それぞれやっぱりまた違うことをしているのが素晴らしかった。
僕も随分、離れたところに行ってしまってるのだけど、同じじゃないのもいい。
ジーナと少しだけ英語でしゃべった、人柄もあると思うけど日本だとこっちの方がマジョリティーだから向こうがこんなダメダメな英語でも聞いてくれて少ししゃべれた。でもそれ以外にもみんなで笑ったり楽しかったんだ。
少し勇気づけられもした。ハンサムで親切なんだから大丈夫と確かに言っていた、その場では照れてしまって聞き流すようにしたけど、そんなこと外国の視点から言われたら、その分世界の広さがあるのだから可能性は残っているような気さえしてしまうからさ、勇気もらっちゃったよ、そんなささやかなことでも世界のイメージは広がった。
大事なのはイメージが広がって、出来そうだと動き始める余地を広げることだからさ。

帰りにmy little loverのhello,againをリピートしまくって帰った。
なんか、とても少年のようなおセンチに包まれまくった、小龍包くらい。
行けそうな気がする。
音楽がずっと昔から自分に行けそうな気を与えていたんだ。また音楽が流れてる最中の振る舞いをずっと試してきていんだと思う、そのこととダンスが繋がったんだ。
段々と年を重ねながらも、何度も少年の後を辿るように巡らすことだと今は思ってる。
僕にとっては思い出からも、少年や少女がその時、どんな風に世界に対して立とうとしていたかが重要なんだ。
その手に剣を持てるかもしれないんだから。

2017年1月1日日曜日

2017

2017年、年が明けました。今年も年を越すように走った。昨年は個展を完成させるために海まで走り切った。今年は行けるところまでと思っていたけど、走ってるうちに行けそうな気がして行くことに切り替えた。後半はロマンチックな目標なんかボロボロになって、クソみたいなこと思いながら江ノ島まで辿り着いてやろうとしていた。考える時間を持とうと最初走り出すのに、最後の方身体はボロボロで用意してきた考え事について考えるというより、地獄と天国を歩いている、とかSEEDAの曲の歌詞とかあのバトルつぽい感じのことや、ぶっ飛ばしてやる、みたいな感情が巻き起こって、とにかく完走しようと、バトルしていた。そう、走ってる最中に具体的な2017について考え予定たてようとかイメージ持とうと思ったのに、走り切ることに目の前の敵にいっぱいいっぱいになり、身体もボロボロになっていった。その事実が素晴らしいと思った。見事に打ち砕かれて、残ったことはでも確かな実感としてある、物理的にも。そんな積み重ねが改めて大事だぞ、と最初に確認することが出来た。いくらかは助かりそう、そしてこれはすぐに逃げていくだろう。

辿り着いた海は、真っ暗で向こうからやってくる。真っ黒と足元に来る波は向こうで繋がっていて、その上には星が図形を結ぶような配置で宇宙から輝き、その真下に自分がいるその場所は街灯が連続し道を作る海の街だった。灯台からまわって照らすライトが、リズムを一定で刻んでいく、海に辿り着いた自分がトリュフォーの映画を思い出していた。何回もこうやって海まで辿ってきたけど。映画のことを考えているのに、そんな、街と海と宇宙と砂浜を歩く少しくたびれた身体と呼吸がここにあるこのライブが凄いと思った。生きていること、考えていること、歩いて寒くてはぁはぁ言って目で見て耳できいていること全部がいっしょになって存在している今がただすごかった。
僕はこの時、生きていた。

ここまでもフィクションかもしれない、世界を生きていた。


だけど、海に1人で辿り着いたのに、海はまるで自分を待っていると思っていたのに多くの人で溢れていた、みんなが大体誰かたちとつるんで集まっていた。駅に着いても同じだった。みんなは誰かと集まっていて自分だけがボロボロの走るためだけにきたような服装だった。やばそうな奴とかって思われてるんじゃないかとか思ったり、一方ででも余裕でもあった。自分だけが1/1に江ノ島に来ることをなめてるような奴みたいだと思った。逆に言えばなぜみんな正月をもっとなめてかかんないだろうとも思った。少しだけ自由な気がした、それは久しぶりの感じでもあった。
少しだけカッコよくできた気がする。そこには誰もいなかった。