2017年1月1日日曜日

2017

2017年、年が明けました。今年も年を越すように走った。昨年は個展を完成させるために海まで走り切った。今年は行けるところまでと思っていたけど、走ってるうちに行けそうな気がして行くことに切り替えた。後半はロマンチックな目標なんかボロボロになって、クソみたいなこと思いながら江ノ島まで辿り着いてやろうとしていた。考える時間を持とうと最初走り出すのに、最後の方身体はボロボロで用意してきた考え事について考えるというより、地獄と天国を歩いている、とかSEEDAの曲の歌詞とかあのバトルつぽい感じのことや、ぶっ飛ばしてやる、みたいな感情が巻き起こって、とにかく完走しようと、バトルしていた。そう、走ってる最中に具体的な2017について考え予定たてようとかイメージ持とうと思ったのに、走り切ることに目の前の敵にいっぱいいっぱいになり、身体もボロボロになっていった。その事実が素晴らしいと思った。見事に打ち砕かれて、残ったことはでも確かな実感としてある、物理的にも。そんな積み重ねが改めて大事だぞ、と最初に確認することが出来た。いくらかは助かりそう、そしてこれはすぐに逃げていくだろう。

辿り着いた海は、真っ暗で向こうからやってくる。真っ黒と足元に来る波は向こうで繋がっていて、その上には星が図形を結ぶような配置で宇宙から輝き、その真下に自分がいるその場所は街灯が連続し道を作る海の街だった。灯台からまわって照らすライトが、リズムを一定で刻んでいく、海に辿り着いた自分がトリュフォーの映画を思い出していた。何回もこうやって海まで辿ってきたけど。映画のことを考えているのに、そんな、街と海と宇宙と砂浜を歩く少しくたびれた身体と呼吸がここにあるこのライブが凄いと思った。生きていること、考えていること、歩いて寒くてはぁはぁ言って目で見て耳できいていること全部がいっしょになって存在している今がただすごかった。
僕はこの時、生きていた。

ここまでもフィクションかもしれない、世界を生きていた。


だけど、海に1人で辿り着いたのに、海はまるで自分を待っていると思っていたのに多くの人で溢れていた、みんなが大体誰かたちとつるんで集まっていた。駅に着いても同じだった。みんなは誰かと集まっていて自分だけがボロボロの走るためだけにきたような服装だった。やばそうな奴とかって思われてるんじゃないかとか思ったり、一方ででも余裕でもあった。自分だけが1/1に江ノ島に来ることをなめてるような奴みたいだと思った。逆に言えばなぜみんな正月をもっとなめてかかんないだろうとも思った。少しだけ自由な気がした、それは久しぶりの感じでもあった。
少しだけカッコよくできた気がする。そこには誰もいなかった。

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