2017年5月19日金曜日

太陽の季節、

煩悩の遅さ、と思った。今日は5月19日だろうか。
昼前に起き、今日は英語の勉強はせず、美女と野獣のジャンコクトーの方を見て、
ギターを手に取り音楽の練習。
ののち、絵を描いていて、明日が途中経過を見せるタイミングで6月納期のもの。
天気が良くて、青いシャツの汚れがついたのもまぁ見て見ぬふりで出てきた。

電車があいかわらず僕を運ぶなぁ〜。

じゃなくて、東京に帰ってきて物事のシンプルに行かなさっぷりに、どんどん複雑になっていくように見える事物に、自分にいらいらしている。
ふっきれると思う。
自分に固執せずに、その動きそのものになるんだ。目的を考え、それに走っている状態にする。
人生を生きたいでは遅く、人生そのものになる、くらいに。
失うものはなにもない、ここに生きていることがある、おい、生きている、太陽が照らすことによってそれが明らかになるんじゃないだろうか。


2017年5月14日日曜日

散文

帰国後、ポエムに頼ろうとしてしまう部分も強く出て来る。それは日々を抽象的にしておくためだろうか。自分がいる場所を詩的に装うことでの抽象化を図るみたいに。
ほとんど怒っているのは、日本語で生きるこの身体のせいだろうか。

なんておさない社会なんだろう!

山田かまちを思い出した。

あたたかくなり夏のことが少し近付いてくると自分がお寺とかで踊る姿を想像してる。
達成のされてない夢。
いい風通れと思いながら。

夏は思い出す。
ほら、またポエムをしようとしている。
気をつけねば

2017年5月12日金曜日

子供全部

生きているときは全部使って生きたいって思ったじゃない?あの時。

そうして、またその言葉が僕に降ってきた。

生きることは有限で。

僕が今ひとつラテン系になれない理由はここにあるよね、ダメっちゃダメで、文学にしちゃえばどこか美しいかもなんて思っちゃったりして。
でも生きることは有限で、

こないだの旅でも、全然その有限を乗り越えることが出来なかったのだ。どこまで行かなきゃ行けないんだろう?

ミスチルを聴いて中3の頃を思い出す。
僕はその時に大きな崖の上に立っていた。
そこからは世界を見渡すことが出来た。
興奮して恐竜みたいだった。
僕はまだそこに立つことが出来るか?
きっと出来るさ。
僕はそう言いたい。

2017年5月5日金曜日

冷静と情熱のあいだ、また

Twitterもfbもいつも窓というよりも気を付けないと大体壁となる。こないだの旅の中、ずっと歩きながら、その壁を越えることがどれくらい難しいことなのかというのが日に日に自分を追い詰めていたのに。日本に帰ってきてそのことを忘れてしまいそうでこわい。いや、ぎりぎりいつも踏みとどまるとは思う、だってその先の目標の杭だけはゆるがずに打たれたのだから。そのことを考えるといつもこわい。それがもし達成をされなかったら、僕は自分にひどくがっかりするだろう、それだけは本当にこわい。でも挑戦の前の準備の段階であるから、イメージが難しいけど、すでに始まってるちゃ始まってるのだ。


関係ないけど、もう一回、冷静と情熱のあいだ観る。
確かに映画のクオリティとしてどうだろうってとこもあるだろうけど、間違いのない味の素材の大木が縦や横に張り巡らせされてるので、大雑把にやっぱり観れてしまうのだ。
色んなことを観ながら考えさせる要素があって。
エンヤも流れちゃってさ。
大学の頃の友人で江國香織さんが好きだった子のことを、思い出して、それで彼女の小説を久しぶりに読んでみたい気持ちにもなったのだ。

達成したい壁のことばかり考えていた方が嫌なことからは逃げられるかもしれない。